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谷口様へ

 投稿者:美ノ浦13号  投稿日:2013年 3月24日(日)19時49分11秒
  お誕生日おめでとうございます(^0^)/
99歳と100歳のご夫婦なんて素晴らしいですね!!
修学旅行の記事を遡って読んでみましたが、私の父は大正9年生まれでしたから、もしかしたらその時の生徒だった可能性もあるかな???
谷口様のお顔を拝見すれば私もきっと谷口様を思い出せるような気がします。
美ノ浦丸にも乗っていましたか?
島ではどの辺に住んでいましたか?私は子供の頃は、巽の「前田のうどん屋」さんのすぐ下に住んでいました。現在は東京在住です。
今、住いの側の中川で護岸工事が行われていますが、そこに四阪島のような浮桟橋があり、懐かしく眺めております。
 
 

四阪島

 投稿者:美ノ浦13号  投稿日:2013年 3月24日(日)19時21分28秒
  昭和44年頃に私は、千葉県市川市の中央研究所に勤務しておりました。
その頃出入りの本屋さんで「日本の旅」と言う書籍を頒布会で購入、その中の14回配本が「四国」でした。
ページをパラパラと開いたらいきなり「四阪島」の写真が載っていてびっくりしました。
山田書院の本です。大煙突も見えますね。
 

著作権

 投稿者:有元容子  投稿日:2013年 3月23日(土)14時22分25秒
編集済
  フジケンさん。あ、多分私の記事についてだと思います。
載せられなくて、ちょうど良かったです。

井上さん。済みませんでした。
 

運動会

 投稿者:谷口  投稿日:2013年 3月23日(土)12時28分29秒
  島では僕が6年生まで運動会はなかったですが理地に運動場が出来てから初めて運動会をすることになりました、初めてのことで生徒の家族やその他の多数の方々の応援に来てくれて、盛大な
運動会になりました、初めてのことで競技内容も少なかったけれど最後の紅白リレーには凄い
応援になり楽しい一日であったと思います。
それから親友会の運動会も理地てするようになり、島も5月の山神祭と学校の運動会と親友会の運動会と3行事が出来るようになり島民も楽しみが増えて楽しんたとおもいます。
大正から昭和にかけて色々ありましたのてまた思いだしたら投稿さしていただきます。
 
 

井上さまへ

 投稿者:フジケン(11回生)です  投稿日:2013年 3月22日(金)16時55分39秒
  スミマセン!著作権のことは、考えていませんでした。
2月16日の書き込みは、削除させていただきました。
これからは、十分気を付けたいと思いますので、
今後ともよろしくお願いいたします。
 

日本産業史の金字塔・煙害克服

 投稿者:アローノブ  投稿日:2013年 3月22日(金)12時49分38秒
  島に,生まれ育ち住んだ人の想いは同じですね。
フジケンさん紹介の6本煙突は、私の生まれる前ですから・・・
愛媛県立科学博物館学芸員の吉村久美子氏の文献によれば、四阪島の煙突としては二代目となります。一代目は本格操業前の明治38年10月の熔鉱炉試験の段階から煙害被害が確認されています。この問題解決の為に大正3年に完成したのがこの六本煙突でした。しかし,この煙突によって被害が増大し,大正6年に使用停止となりました。
江戸時代元禄の世から開坑された住友別子の歴史の変遷を経て国策産業として発展する中での煙害対策を空中拡散から根本施策のぺテルゼン式中和工場建設への転機となった時代でした。
現存の三代目の大煙突は大正13年完成ですが、昭和4年操業の硫酸工場稼働を経て14年7月の中和工場2期工事完成で煙害皆無を達成し,日本産業史で公害撲滅の輝かしい金字塔を世に建てたのでした。
89年の間,島のシンボルであり航行する船舶のランドマークとして
お役目ご苦労様でした!
 

愛媛新聞

 投稿者:井上正信  投稿日:2013年 3月22日(金)11時41分3秒
  新聞の転載は著作権の侵害になるので、掲示板には載せないでください。
皆さんの書き込みを見ていると、皆さん同じ思いでこの煙突を見ていたことがよく分かりますね。
 

愛媛新聞

 投稿者:有元容子  投稿日:2013年 3月22日(金)09時50分29秒
  先日3月17日(日)愛媛新聞で煙突解体についての特集が組まれました。
「近代の象徴消える」と言うタイトルです。
1面を使っての記事でした。
こちらになんとかして載せたいと思ったのですが、うまく行きません。

地元の方はもうご覧になっているかとおもうのですが、それぞれの年代の方に取材をしています。

そしてこの掲示板を作って下さったmanchanのコメントも出ています。
私も、夫が島の絵を描いていますので、その作品も載っています。
住んでいた人々が居なくなり、煙突が無くなっても、こうやって、様々な出版物に(新聞も含めて)残していくことは大切なことだと思っています。
工場の歴史や、そこに暮らした人々の生活がたしかにあったことを、私たちは懐かしく大切な思い出として記憶しています。
本当にいつかは無くなる運命だったのでしょうけど、寂しいですね~!

もし保存しようとすると10億円単位なんですって!!
 

四阪工場の煙突

 投稿者:フジケン(11回生)です  投稿日:2013年 3月21日(木)18時36分9秒
  昔の(何年位前でしょうか?)写真を見ると、複数の煙突が立っていたんですね~  

さみしいです

 投稿者:もも  投稿日:2013年 3月20日(水)18時08分10秒
  もうすぐ 大煙突がなくなる 四阪島を離れ何十年もう一度四阪島へ帰りたいです
行く方法 知らないですか? 
 

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