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東巽

 投稿者:美ノ浦13号  投稿日:2013年 4月 9日(火)16時40分53秒
  谷口さん、東巽はどの辺の事を言うのでしょうか?私はざく!と巽としか分かりません。
そう言えば、巽浦なんてのもありましたかね?お寺から下りてきた所も巽?
ゆうしん寮があった所は? なんて昔の記憶をひも解いています......
谷口さんの記憶力はすごい!!です。99歳の人がパソコンを使っていることに皆ビックリしていますよ。母が昭和22年に今治から嫁いできた頃の美ノ濃浦丸では、社員の階級?によって一等・二等と船室が分かれており、一等に乗ると赤い絨毯が敷かれており茶菓子が出てきたとか??
 
 

見納めの大煙突

 投稿者:アローノブ  投稿日:2013年 4月 9日(火)16時36分18秒
  今年の一島一家会総会は異常低気圧で中止となり訪島が叶いませんでした。
スエーデンから来られたCHさんが姪御さんと共に5日に松山入りして訪島を待機されていましたが,誠にお気の毒で御座います。
昨日に,今治で合流して大島へ渡り亀老山展望台からの眺望で感激頂き,そして「ふなやど」の浜辺で海水に触れ幼い頃の四阪島を懐かしんでいるご様子に些か安堵しました。
添付の画像は亀老山展望台からの大煙突の四阪島です。
よく見ると大煙突の左側に白いポール状のものが見え,解体の準備がされている様です。
これで大煙突は西からの見納めとなり・・・
幼児期に明見谷から見ていた同期K坐氏の句を紹介します。

    夕陽背に受け 孤高の風情
           歴史の苦難 煙筒の中
 

美ノ 浦13号様 

 投稿者:谷口  投稿日:2013年 3月26日(火)12時29分32秒
  僕は東巽に住んでいまたが昭和9年に島をはなれました、
古い話ですが高等科1年の時に初めて学芸会を芝居小屋でしましたその後も毎年続いていたと思います、浮桟橋は初め仮桟橋てしたが半年ぐらいして今の桟橋に変わりました、待合所がある場所は船頭町とゆう、なまえの社宅があったのを取り壊して、待合所をたてました。
美ノ濃浦丸に乗っておりました、会社の船に乗っていたので44ねん定年まで毎日ぐらい島にいっていました、御父さんのこと受け持ちの先生は深谷先生で6年生でした、昔のこと色々思いたすと懐かしいです。前田さんは本館の食堂でうどんを売っていたと思います僕も食べいたことが
あります。

 

谷口様へ

 投稿者:美ノ浦13号  投稿日:2013年 3月24日(日)19時49分11秒
  お誕生日おめでとうございます(^0^)/
99歳と100歳のご夫婦なんて素晴らしいですね!!
修学旅行の記事を遡って読んでみましたが、私の父は大正9年生まれでしたから、もしかしたらその時の生徒だった可能性もあるかな???
谷口様のお顔を拝見すれば私もきっと谷口様を思い出せるような気がします。
美ノ浦丸にも乗っていましたか?
島ではどの辺に住んでいましたか?私は子供の頃は、巽の「前田のうどん屋」さんのすぐ下に住んでいました。現在は東京在住です。
今、住いの側の中川で護岸工事が行われていますが、そこに四阪島のような浮桟橋があり、懐かしく眺めております。
 

四阪島

 投稿者:美ノ浦13号  投稿日:2013年 3月24日(日)19時21分28秒
  昭和44年頃に私は、千葉県市川市の中央研究所に勤務しておりました。
その頃出入りの本屋さんで「日本の旅」と言う書籍を頒布会で購入、その中の14回配本が「四国」でした。
ページをパラパラと開いたらいきなり「四阪島」の写真が載っていてびっくりしました。
山田書院の本です。大煙突も見えますね。
 

著作権

 投稿者:有元容子  投稿日:2013年 3月23日(土)14時22分25秒
編集済
  フジケンさん。あ、多分私の記事についてだと思います。
載せられなくて、ちょうど良かったです。

井上さん。済みませんでした。
 

運動会

 投稿者:谷口  投稿日:2013年 3月23日(土)12時28分29秒
  島では僕が6年生まで運動会はなかったですが理地に運動場が出来てから初めて運動会をすることになりました、初めてのことで生徒の家族やその他の多数の方々の応援に来てくれて、盛大な
運動会になりました、初めてのことで競技内容も少なかったけれど最後の紅白リレーには凄い
応援になり楽しい一日であったと思います。
それから親友会の運動会も理地てするようになり、島も5月の山神祭と学校の運動会と親友会の運動会と3行事が出来るようになり島民も楽しみが増えて楽しんたとおもいます。
大正から昭和にかけて色々ありましたのてまた思いだしたら投稿さしていただきます。
 
 

井上さまへ

 投稿者:フジケン(11回生)です  投稿日:2013年 3月22日(金)16時55分39秒
  スミマセン!著作権のことは、考えていませんでした。
2月16日の書き込みは、削除させていただきました。
これからは、十分気を付けたいと思いますので、
今後ともよろしくお願いいたします。
 

日本産業史の金字塔・煙害克服

 投稿者:アローノブ  投稿日:2013年 3月22日(金)12時49分38秒
  島に,生まれ育ち住んだ人の想いは同じですね。
フジケンさん紹介の6本煙突は、私の生まれる前ですから・・・
愛媛県立科学博物館学芸員の吉村久美子氏の文献によれば、四阪島の煙突としては二代目となります。一代目は本格操業前の明治38年10月の熔鉱炉試験の段階から煙害被害が確認されています。この問題解決の為に大正3年に完成したのがこの六本煙突でした。しかし,この煙突によって被害が増大し,大正6年に使用停止となりました。
江戸時代元禄の世から開坑された住友別子の歴史の変遷を経て国策産業として発展する中での煙害対策を空中拡散から根本施策のぺテルゼン式中和工場建設への転機となった時代でした。
現存の三代目の大煙突は大正13年完成ですが、昭和4年操業の硫酸工場稼働を経て14年7月の中和工場2期工事完成で煙害皆無を達成し,日本産業史で公害撲滅の輝かしい金字塔を世に建てたのでした。
89年の間,島のシンボルであり航行する船舶のランドマークとして
お役目ご苦労様でした!
 

愛媛新聞

 投稿者:井上正信  投稿日:2013年 3月22日(金)11時41分3秒
  新聞の転載は著作権の侵害になるので、掲示板には載せないでください。
皆さんの書き込みを見ていると、皆さん同じ思いでこの煙突を見ていたことがよく分かりますね。
 

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